令和5年度第4回文化史講座(現地研修)開催される

今年2回目の現地研修が10月19日に実施されました。テーマは「紅葉の裏磐梯・米沢街道と史跡探訪」

 でした。メーンは米沢街道巡りそして塩川町にある金川寺の「八百比丘尼立像」拝観でした。この立像     は全員がまだ拝見したことがなく、大変貴重な体験をしました。                      参加人数は11名と少なかったが、皆さん気心の知った人ばかりで和気あいあいと楽しい研修でした。

○研修コース

 鶴ヶ城体育館8:30出発~別府1里塚~熊倉宿~北塩原村学習センター~山塩工場見学~ラビスタ裏磐梯

 (昼食、入浴)〜松峰山金川寺の八百比丘尼拝観~鶴ヶ城体育館16:00解散

   別府の一里塚         ラビスパで集合写真         八百比丘尼立像       

令和5年度第3回文化史講座(現地研修)開催される

平成5年8月10日県立博物館の企画展に合せ研修が実施されました。今回は学芸員に解説していただ       き、また自分達が昔実際に使用した農機具が展示されており、懐かしそうに使用方法を学芸員より詳し  

 く説明する人がいたり、有意義な研修でした。

 

 ・日時 : 令和5年8月10日

 ・場所 : 福島県立博物館

 ・企画展: 「仕事が仕事をしている仕事」

 ・学芸員: 塚本麻衣子専門学芸員

 ・参加人数:14名

 ・内容要旨:民藝運動の作家「河井寛次郎」「濱田庄司」「バーナード・リーチ」の主な陶芸作品が展示

       また、農作業に使用された農機具、野良着、竹細工等が展示されており、中でも「会津                                  絵蝋燭の素晴らしさは日本一である」と書いてあった「柳宗悦」の言葉が印象的でした。

           

   参加者のみなさん        実際に使用していた焼物     箕及び蔓細工の入れ物

 

令和5年度第2回文化史講座(現地研修)開催される

平成5年6月17日「津軽三味線と各地の民謡」と題して、県立博物館において今までと趣きが変わり    大まかにこれまでの文化史講座と離れた物であったが、気分転換になった研修でした。

  今回は県立博物館主催のイベント観覧となり、津軽三味線と共演し、日本各地の民謡に酔いしれた場所    となり、有意義な研修でもありました。尚、今回は玄如節顕彰会発表会の鑑賞でしたが、他鑑賞者が多    く100名以上の会場となりました。 

・日時 : 令和5年6月17日 

・場所 : 福島県立博物館 

・出演 : 玄如節顕彰会のみなさん

ゲスト : 津軽三味線 ― 菊地智江さん  近藤孝さん

・プログラム:会津松坂・鶴ヶ城音頭・玄所節・津軽三味線曲弾・津軽じょんがら節ほか16曲

  会員出席者のみなさん        鶴ヶ城音頭        三味線を弾く玄如節顕彰会長

令和5年度第1回文化史講座(現地研修)開催される

平成5年6月1日「新緑のJR只見線と史跡探訪」と題してJR只見線を利用した現地研修が4年ぶりに

 実施されました。まだまだコロナ感染が続く中、5類に移行された事もあり、心も晴々、晴天にも恵ま     れ清々しい研修の一日でした。今までの移動手段はバスだったのをJR線の移動にする等趣向を変えた

 研修でした。只見町をメーンに主に戊辰戦争時の長岡藩の行動を研修しました。参加者は15名でした。

〇主な研修箇所は下記の通り

 只見・叶津の戦い跡 ー 河井継之助逗留地 ー 長岡藩主、姫君の宿泊宅 ー 丹羽族自刃の家

 ー 東軍・西軍宿舎跡 ー 只見モノとくらしのミュージアム

 

   河井継之助逗留地        丹羽族自刃の間         研修参加の皆さん

 

令和5年度会津史談会の総会開催される

 ○令和5年4月23日河東公民館にて実施され、令和5年度活動計画も無事に承認されました。

  「文化史講座」としては、令和5年度の会員数は46名が登録となりました。

  新型コロナ感染拡大のため、令和2・3年度は全面活動中止、4年度はコロナ関係の一部緩和に伴い、       思考を変え5回の活動実施となりました。今年度はコロナ感染状況を観見しながら、徐々に従来の活       動方法に戻すべく、現地研修2回、研修講座3回の計5回の行事を実施します。                                                                                             

  尚、令和5年度文化史講座年間計画は下表の通りです。

 月  日 曜日 講 座 名      テ  ー  マ   講  師
1

6月1日

 

 木 現地研修 南会津方面  新緑の只見線と史跡探訪 文化史講座部長

6月17日

 

 

研修講座 津軽三味線と各地の民謡  玄如節顕彰会

8月10日

研修講座 

 

夏の企画展「仕事が仕事をしている仕事」

(福島のものつくりと民藝)

 

 県立博物館

 

10月12日

 現地研修

紅葉の旧米沢街道と史跡探訪

 文化史講座会員

3月14日

研修講座

冬の企画展「古い道具と昔の暮らし今の生活

と比べてみよう」  テーマ展「美しき刀たち」

 県立博物館
           

 

○予定回数は少ないものの、コロナ感染前の内容に戻しました。奮ってご参加下さい。

○文化史講座の年会費は3千円です。しかし会津史談会会員加入が条件のため他に年4千円が必要です。

 *今後について

 新コロナの今後の感染状況により、予定変更になる場合が考えられます。その時はこのページ並びに

 ハガキにて連絡致します。

 

 

○令和5年度古文書講座の予定

年度の古文書講座は下記の計画により実施いたしますので多くの皆様のご参加を

 お待ちしています。

 1.令和5年5月〜6年2月までの計10回の開催となります。

 2.原則毎月第二火曜日で13:30〜15:30の2時間となります。

 3.講座の場所は、稽古堂3階会議室です。

 5.年会費は1,000円とし、講座の運営費に充てます。。

 6.表題ー「会津事始」巻1を読みます。

 7.講師は昨年同様、川原太郎 先生です。

 8.史談会入会が必須になり、史談会会費4,000円が必要となります。

令和4年度第4回文化史講座(講義講座)開催される

平成4年12月15日福島県立博物館において今年4回目の文化史講座が開催されました。

 冬の寒い中、25名の参加となりました。

 今回も前回同様の県立博物館において、テーマ展「「写真資料から見える会津の風景」に合せて行われ

 会員どおしの交流が図られた時間でもありました。

・このテーマ展は南会津町存住の小滝清次郎氏が長年に渡り、撮り続けためて来た写真372枚、スライド

 200点等が博物館に寄贈され、その一部が展示されました。

 会津の民俗行事、古民家、生業、石造物、年中行事の写真が展示されており、昭和時代初期の写真が

 多く、当時がすごく懐かしく感じ、胸が熱くなる感動を覚えた研修でもありました。

 次回は令和5年2月28日です。場所は今回と同じ県立博物館となります。

                 

                   参加された皆さん       

 

令和4年度第3回文化史講座(講義講座)開催される

平成4年10月20日福島県立博物館において今年3回目の文化史講座が開催されました。

 天候にも恵まれ、57名の参加となりました。

 今回も博物館主催の「名君の大名文化(岡山池田家と会津 武、その華と志ー林原美術館名品)」合せ

 て行われ、久し振りの再開に会員通しの交流がなされた時でもありました。

 ・企画展内容ー戦国時代から江戸時代の大名文化が花開くまでの歴史を、林原美術館が所蔵する岡山

  池田家の武将、大名に関する資料と福島県立博物館所蔵の会津ゆかりの蒲生氏郷、保科正之に関する 

  併せて資料141点が展示されていました。見るもの総てが豪華賢覧で、会員すべての人が目を丸くし

  て、食い入るように見ていたのが印象的でした。

  次回は12月15日です。場所は今回と同じ県立博物館となります。

令和4年度会津史談会の総会開催される

 ○令和4年4月24日中之島会館にて実施され、令和4年度活動計画も無事に承認されました。

  「文化史講座」としては、令和4年度の会員数は75名が登録となりました。

  令和2・3年は新型コロナ感染拡大のため、全面活動中止となりました。今年度は従来の活動方法を換

  え、県立博物館、市文化センター、学習センター等の行事に参加し研修を行います。                                                                                                              

  尚、令和4年度文化史講座年間計画は下表の通り。

 月  日 曜日 講座名 テ  ー  マ 場  所
1

 6月16日

 

 木 見学講座

春の企画展「アンモナイト合戦」

人物シリーズ①松平容大の種痘」

県立博物館
 8月25日 

 

 木

 

見学講座

夏の企画展「新選組2022」

人物シリーズ②伊達政宗と会津攻め

県立博物館
3

10月20日

 木

見学講座 

 

秋の企画展「名君の大名文化岡山池田家と

会津」

人物シリーズ③会津藩の「歴史編集と山川兄弟」

 

県立博物館

 

12月15日

 木

見学講座

テーマ展「写真資料から見る会津の風景」

人物シリーズ④保科正之の遺言

 県立博物館

2月28日

 木 見学講座

冬の企画展「福島・東北・写真家たちが捉えた

風土/震災」

人物シリーズ⑤「上杉景勝とふくしま」

テーマ展「美しき刀たち会津偏」

県立博物館
           

 

 

○新コロナ感染防止のため今年度は県立博物館での研修のみといたしました。

○文化史講座の年会費は3千円です。しかし会津史談会会員加入が条件のため他に年4千円が必要です。

 

*今後について

 新コロナの今後の感染状況により、予定変更になる場合が考えられます。その時はこのページ並びに

 ハガキにて連絡致します。

 

 

○令和4年度古文書講座の予定

年度の古文書講座は下記の計画により実施いたしますので多くの皆様のご参加を

 お待ちしています。

 1.令和4年5月〜5年2月までの計10回の開催となります。

 2.原則毎月第二火曜日で13:30〜15:30の2時間となります。

 3.講座の場所は、稽古堂3階会議室です。

 5.年会費は1,000円とし、講座の運営費に充てます。。

 6.表題ー「会津盛衰記」巻之4と5を読みます。

 7.講師は昨年同様、川原太郎 先生です。

 8.史談会入会が必須になり、史談会会費4,000円が必要となります。

令和元年度会津史談会の総会開催される

 ○令和2年4月25日中之島会館にて実施され、令和2年度活動計画も無事に承認されました。

  「文化史講座」としては、令和2年度の会員数は75名が登録となりました。

  尚、令和2年度文化史講座年間計画は下表の通り。

 月  日 曜日 講座名 テーマ 講師
1

5月28日

 

 木 現地講座 郡山方面 安積開拓百四十年の史跡探訪 文化史講座理事

7月16日

 〜17日

金  

現地講座 新潟方面 伴百悦の墓参と史跡探訪 文化史講座理事
3

9月17日

現地講座 

 

いわき方面 いわき平城跡と戊辰戦争

      跡探訪 

文化史講座理事

 

11月19日

 講義講座

県立博物館学芸員による講義講座

 博物館学芸員

1月21日

講義講座

会津史談会員による講義

会津史談会員
2月25日 講義講座 会津史談会員による講義 会津史談会員

 

○令和2年度古文書講座の予定

年度の古文書講座は下記の計画により実施いたしますので多くの皆様のご参加を

 お待ちしています。

 1.令和2年5月〜3年2月までの計10回の開催となります。

 2.原則毎月第二火曜日で13:30〜15:30の2時間となります。

 3.講座の場所は、稽古堂3階会議室です。

 4.年1回から2回の現地学習会を行います。。

 5.年会費は1,000円とし、講座の運営費に充てます。。

 6.表題ー「会津盛衰記」巻之弐

 7.講師は昨年同様、川原太郎氏があたります。

 8.史談会入会が必須になり、史談会会費4,000円が必要となります。

○5月より次年3月まで「現地講座」3回、「講義講座」3回の計6回を木曜日に開催いたします。

○文化史講座の年会費は3千円です。しかし会津史談会会員加入が条件のため他に年4千円が必要です。

○現地講座会費は毎回7千円〜8千円で当日集金します。尚、2回目は宿泊のため別料金とします。

  (バス代、昼食代、入場料、損害保険料込の料金)

○会員の配偶者、家族の参加は会員同様とみなし参加できます。

*緊急報告

 新コロナ感染防止のためマスク使用解除まで今年度の活動は中止です。

 11月以降については状況確認後対応致します。

 

平成31年度会津史談会の総会開催される

 ○平成31年4月27日中之島会館にて実施され、平成31年度活動計画も無事に承認されました。

  「文化史講座」としては、平成31年度の会員数は75名が登録となりました。

  尚、平成31年度文化史講座年間計画は下表の通り。

回月日 曜日 講座名 テーマ 講師
1 6月13日 現地講座 神指城跡〜米沢市史跡探訪 文化史講座理事
2 7月25日 現地講座 南会津町史跡探訪 文化史講座理事
3

8月 8日

 

現地講座 

 

蒲生氏郷の大崎氏・葛西氏・討伐の史跡探訪

文化史講座理事

4

9月 1 9日

 〜20日

現地講座

三島半島旧会津藩ゆかりの地史跡探訪

              (1泊2日)

文化史講座理事
5

10月24日

木金 現地講座

柳津町、三島町史跡探訪

文化史講座理事
6 11月21日 講義講座 県立博物館学芸員による講義講座 博物館学芸員
7 1月16日 講義講座 会津史談会員による講義 会津史談会員
8 2月13日 講義講座 会津史談会員による講義 会津史談会員
9 3月12日 講義講座 会津史談会員による講義 会津史談会員

○6月より次年3月まで「現地講座」5回、「講義講座」4回の計9回を木曜日に開催いたします。

○文化史講座の年会費は3千円です。しかし会津史談会会員加入が条件のため他に年4千円が必要です。

○現地講座会費は毎回5千円〜6千円で当日集金します。尚、4回目は宿泊のため別料金とします。

  (バス代、昼食代、入場料、損害保険料込の料金)

○会員の配偶者、家族の参加は会員同様とみなし参加できます。

 

○平成31年度古文書講座の予定

31年度の古文書講座は下記の計画により実施いたしますので多くの皆様のご参加を

 お待ちしています。

 1.令和31年5月〜32年2月までの計10回の開催となります。

 2.原則毎月第二火曜日で13:30〜15:30の2時間となります。

 3.講座の場所は、稽古堂3階会議室です。

 4.年1回から2回の現地学習会を行います。。

 5.年会費は1,000円とし、講座の運営費に充てます。。

 6.表題ー「会津暦之由来

 7.講師は昨年同様、川原太郎氏があたります。

 8.史談会入会が必須になり、史談会会費4,000円が必要となります。

 

令和元年度第8回文化史講座(講義講座)開催される

〇2/20会津文化センターにおいて、文化史講座代表(史談会副会長)の井上昌威氏による「九ノ戸の

 乱」蒲生氏郷公「切支丹の義挙」の題名で講座が開催されました。会津史談会会員は勿論のこと、一般

 市民も講聴が出来る公開講座であり、40名参加者で行われました。        

 今回の講義は蒲生氏郷公の功績を具現化されたものであり、当時「会津藩鉄砲隊」に所属していた井上

 氏が岩手県九ノ戸村の要請により、現地で行われた行事に参加しその時の様子等が話された。

〇講演内容(要旨のみ)

 1.「九ノ戸村の者は会津様には恩義がある」と井上氏に話された。

 2.氏郷公は焼き殺された300人余りの九戸党の遺体を埋葬、九戸城の石垣を直して会津へ帰った。

 3.氏郷の甥「蒲生氏興」が村を制圧、それ以降村人を守ってくれた。

 4.氏興は兵士に略奪行為を厳しく取り締まった。

 5.氏興が病に倒れた後、母親が伊勢松坂から九戸村に来て、尼僧になって弔った後、村人の困り事を

   親身になって尽してくれた。

令和元年度第7回文化史講座(講義講座)開催される

〇1/16会津文化センターにおいて、研修部長の内山武彦先生による「北方警備に殉じた会津藩200年の

 絆」の題名で講座が開催されました。会津史談会会員は勿論のこと、一般市民も講聴が出来る公開講座        であり、約40名の参加者で行われました。        

 今回は初めての実施となる録画ビデオの鑑賞による研修であり、従来の講義とは一味違った有意義深い

 研修であった。

〇講演内容(要旨のみ)

 1.ロシアは日本に開港を迫り、日本が拒否したために、文化三年(1806)実力行使に出、樺太

   等の襲撃を実施。

 2.会津藩はロシアの実力行使を阻止するため、文化五年(1808)1月3日会津を出発、5月5日

   利尻島に到着。そして布陣したが水腫病に冒されるもの多く、この地に没した。

   現在確認される会津藩士の墓は、利尻富士町の本浄寺に3墓、同町の慈教寺に3墓、利尻町内に

   2墓の計8墓が確認出来る。

 3.他に樺太にも数十墓があると言われているがロシア領内のため未確認である。

 4.会津藩士1600余名、他人夫等含めると5000名程が北海道各地に布陣した。今から

   200年前の出来事である。

 5.寒冷地のため野菜等の食料不足にすごく悩まされた。コーヒーは野菜不足に最適であった。

 6.会津藩士はロシア兵と遭遇する事なく、半年位で会津に帰還している。

 

    講 義 風 景        講義中の内山部長          ビデオ鑑賞   

令和元年度第6回文化史講座(講義講座)開催される

〇11/21福島県立博物館において学芸員の内山大介先生による「会津彼岸獅子と都市近郊の地域社会」の                題名で講座が開催されました。会津史談会会員は勿論のこと、一般市民も講聴が出来る公開講座であり                             

 55名の参加者で行われました。

 今回は民俗分野の為、難しい点もあったが、身近の民族芸能であり、大変意義深い内容であった。

○講演内容(要旨のみ)

 1.会津は一人立ち(風流系獅子舞)であり、元は中世の風流踊りを源流として東日本に広がった。

 2.福島県内は圧倒的に三匹獅子が多く、廃絶を含め250箇所の団体があった。

 3.会津彼岸獅子は祭礼との関わりを持たず、春彼岸だけに舞うのは全国でも茨木県の一部と会津

   だけである。

 4.伝承では寛永年間に下野の国の古川角大夫が旅の途中で下柴へ移り住み、獅子舞を伝授した。

 5.下柴から各地に獅子舞が伝授され、その事を示す文書が各地に残されている。つまり17世紀前半

   中ごろ(寛永年間頃)に下野の国から会津の各地へ獅子舞が伝来され、さらに会津一円へと伝授

   されていった。

 6.かつて30組ほどの獅子舞団体が存在していたが、現在は10団体だけである。

 7.長い歴史の中で、廃絶、もしくは中絶の繰り返し及び復活があった。天寧獅子は江戸時代後期 

   にはすでに中断、疫病の流行により大正12年に復活。下柴獅子は戊辰戦争後に中断、明治18年

   に天寧から逆伝授される形で再興。小松獅子は戊辰戦争後から中断、復活の繰り返しであったが

   昭和初頭から稽古を重ね、昭和3年春分の日に部落内の常徳寺にて復活の舞えが披露され、

   現在に至っている。 

  

  講師の内山学芸員        下柴獅子への伝授書          授業風景

 

令和元年度第5回文化史講座(現地講座)開催される

〇10月24日柳津町を中心に現地講座「柳津町史跡探訪研修」を実施した。

 今回は軽井沢銀山跡、柳津西山地熱発電所、久保田三十三観音参拝等、盛沢山の研修であった。

 滅多に行く機会がない久保田三十三観音の由来は近くの久保田集落は昔から医者も産婆も居ず、

 お産のために他界した若い婦人のために当時三十三戸の村人が190年前に造営したものである。

 第7番目の如意輪観音は別名「マリア観音」で左手に十字架を携えていた。

 今回も天候に恵まれ大変有意義のある研修であった。参加者は21名であった。

〇主な研修箇所は下記の通り

 軽井沢銀山跡ー柳津西山地熱発電所ー久保田三十三観音ー福満虚空蔵尊円蔵寺ー奥之院弁天像

 -つきみが丘良寛詩碑と像ー大竹作磨知事銅像 

  軽井沢銀山跡集合写真     柳津西山地熱発電所集合写真      大竹作磨知事銅像

  久保田三十三観音説明板      第7番 マリア観音       円蔵寺奥之院弁財天坐像   

令和元年度第2回文化史講座(現地講座)開催される

〇7月18日「御蔵入、南会津町の民俗、史跡探訪」と題して、現地講座を行った。

 今回は大内宿がある大内集落の八幡大ケヤキを何人の手で繋がるかの検証、田島の鴫山城址検証、

 会津加藤時代の堀主水の妻「寿林」の墓参、前沢の曲家集落散策、旧南会津郡役所見学と今回も

 沢山の検証箇所があり、邪魔にならない程度の雨があったが、2箇所2人の現地ガイドの説明があり、

 大変有意義な研修であった。参加者は25名であった。                                                                                                                                                                                                                 

○主な研修箇所は下記の通り

 八幡大ケヤキー長寿の水ー前沢曲家ー田島祇園会館ー薬師寺ー徳昌寺ー鴫山城址ー旧南会津郡役所

 

   大内の八幡大ケヤキ      前沢曲家ガイドと一緒に       田島祇園会館

 町野主水の妻「寿林」の墓     鴫山城跡大手門石垣         旧南会津郡役所

令和元年度第1回文化史講座(現地講座)開催される

○6月13日「上杉の城下町、米沢の史跡探訪」と題して、令和元年初回の現地講座を行った。

 今回は「関ケ原の戦い」に関係し、会津から山形県米沢に移封された「上杉景勝公」が築いた

 城下町、米沢周辺の現地研修であった。講師は会津史談会出版部長の「今野浩」氏であった。

 今野さんは「米沢市は現在人口8万人位で会津若松市より少ないが、会津にあるものはすべてあり、

 会津に無いものが米沢にはある。」と考えさせられる言葉を発した。

 今回は天候にも恵まれ、盛沢山の研修場所があり、有意義な一日であった。

 尚、参加者は33名であった。

 

○主な研修箇所は下記の通り

 神指城(車窓)ー上杉廟所ー上杉城址ー上杉神社ー竜泉寺ー堀粂之助墓所ー近藤勇墓所

 春日山林泉寺 -直江石堤ー前田慶次供養塔

 上杉廟所入口での集合写真      堀粂之助墓前供養          近藤勇首塚  

   直江兼続夫妻墓所       林泉寺山門での集合写真       直江石提

◎平成29年度の文化史講座研修はH30.3.15をもってすべての予定が終了しました。                                                                                                                   

 今年度も大盛況の内に終了し、厚く感謝申し上げます。ありがとうございました。

 来年度は戊辰戦争150周年の年でもあり、色々な企画を計画しております。

 多数の参加をお願い致します。

 なお、会津史談会総会はH30・4・28です。

 

平成30年度第9回文化史講座(座学講座)開催される

 〇平成31年3月14日会津若松市文化センターにて「慧日寺薬師如来坐像と復元制作について」との

  演題にて、磐梯山慧日寺資料館学芸員の「白岩賢一郎」氏による講義が行われた。講義内容は古代の

  薬師如来信仰から薬師如来の復元制作までの過程を解りやすい説明で興味深い講義であった。

  〇講義内容(要旨のみ)

    1.経典には仏の根本となる役割が書かれている。

  2.薬師如来を説く経典は玄奘訳の「薬師瑠璃光如来本願功徳経」(通称「薬師経」)や、義浄訳の

   「薬師瑠璃光七仏本願功徳経」(通称七仏薬師経)などがある。

 3.薬師如来は「菩薩」修行時代に12の誓願を立て達成されない限り、(如来)にはならないと誓っ                                                                                            

   た。

 4.我国最初の薬師信仰は聖武天皇の病気平癒を目的に行ったものである。

 5.慧日寺の本尊「薬師如来坐像」は造立以来4度の罹災があり、現在は跡形1つも無い

 6.平成21年に金堂・中門の復元を行った。

 7.平成30年7月30日勝常寺像を参考にした薬師如来坐像を制作、復元展示物として一般公開と

   なった。(材質はヒノキ)

  

  慧日寺薬師如来坐像        白岩賢一郎学芸員 講師         講 義 風 景 

平成30年度第7回文化史講座(座学講座)開催される

 〇平成31年1月17日会津若松市文化センターにて「白虎士中二番隊中隊長日向内記次則(つぐのり)

  は卑怯者ではない」との演題にて、「平成29年度会津史談賞」を受賞した井上昌威氏による講義が

  行われた。講義内容は史談賞の大部分であり、世間一般の話しを覆す様な興味深い講義であった。

 〇講義内容(要旨のみ)

  1.飯盛山で自刃した白虎隊の人数は明治政府が16人と決定し、以外の人数が記載されている本

    はすべて没収されてしまい、16人が定説となってしまった。

  2.明治17年には撤退中に亡くなった3人を含んで自刃者は19人となった。

  3.平石弁蔵は人に聞いたり、確認をしたりせずに、本を書いたので実際の行動とは、かけ離れた

    創作本になってしまった。

  4.白虎隊は滝沢村でおにぎりを貰っているので、食料調達説はおかしい。

  5.日向内記は佐川菅兵衛総督と軍事作戦をするため白虎隊と離れて強清水の荒井家に出向いている           

    ので、食料調達に行ったとの説は嘘である。(荒井家の証言)

  6.佐川総督は荒井宅午後八時と決めたのに到着は午前二時になってしまったので、作戦変更を

    せざるを得なくなり、変更内容を他の会津軍部隊に伝令して戻った所、白虎隊はすでに移動した                                                                                                                                  

    後でその後日向内記は白虎隊と二度と会う事は無かった。

  7.その後佐川総督は藩主に渡すはずの戦闘詳報を荒井家に置き忘れ、真っ先に逃げ帰ってしまった

    ので荒井家共々戦火にて焼失してしまった。

  8.以上により、会津最大の卑怯者は佐川菅兵衛であり、決して日向内記は卑怯者ではない。上司の

    命令を忠実に追行しただけである。 

   井 上 講 師        講 義 風 景           井 上 講 師

平成30年度第4回文化史講座(現地講座)開催される

9月13日「河東、磐梯史跡探訪」と題して、旧河東町の藤倉二階堂を初め、同町に点在する史跡、                 磐梯町慧日寺の薬師如来坐像等を廻る現地研修を行った。薬師如来坐像はあくまでも展示品の扱いになるため、魂は今後共入れない。賽銭箱も置かないとのことであった。また日新館長の講義に「長州との歴史の事実をご破算には出来ない。真相をちゃんと残して、交流を深める方が結びつきは強くなる」との言葉があったのが印象的な講座であった。参加者は30名だった。

○主な研修箇所は下記の通り

 藤倉二階堂ー藤倉三郎舘跡ー皆鶴姫伝説碑群ー代田組郷頭の墓所館跡ー八葉寺阿弥陀堂ー会津日新館

 -八田宗吉翁屋敷跡ー慧日寺薬師如来坐像ー徳一廟

   藤 倉 二 階 堂       八葉寺阿弥陀堂         日新館長 宗像先生

 

  会津藩校日新館前にて       慧日寺の薬師如来坐像      慧日寺入口前

                   (撮影許可を得ました) 

平成29年度第10回文化史講座(講義講座)開催される

 H30・3/15会津文化福祉センターにおいて、会津葦名一族研究会副会長の長谷川慶一郎先生による

  「会津魂の源流について」の題名で講座が開催されました。

  平成30年は会津戊辰戦争150回忌の年であります。

  今回の講座は「会津人の魂とその源流は高遠藩にある」との講義から始まりました。

  大変意義深い内容であり、2部構成で真験に公聴していました。                                                                                                                                                    今回も会津史談会会員は勿論のこと、一般市民も講聴が出来る公開講座であり、50名の公聴者でし

  た。

 ○講演内容(要旨のみ)

  1.歴史は点ではなく、面で見て欲しい。

  2.歴史は進化している。(新しい発見がある)

  3.近世武士はサラリーマンで、中世武士は能力実力的である。

  4.会津武士のルーツは長野県高遠であり、高遠藩の生き方とすごく似ている。

  5.保科正之公が最上藩主時代は学者、武芸者を進んで採用したが、会津に来ると下級武士を多く

    採用した。

  6.会津藩当時の武士階級の人口は、総人口の7% 位であった。

  7.田島地方は幕府直轄領であり、取り締まりが会津藩より緩く、新潟等、近辺からの人が集まり

    他地区の情報が入り易かった。

  8.講義に登場した人物 ー 仁科五郎盛信(高遠城主)・曽根源十左衛門(高遠藩士)・

    諏訪勝右衛門頼清の妻お花(高遠藩士妻)・川島与五右衛門重英(会津藩士)・

    本名新左衛門(会津地方名主)・長嶺八郎治(会津地方名主)

 

       長 谷 川 慶 一 郎 先 生 の 講   演   風   景

平成29年度第9回文化史講座(講義講座)開催される

 ○H30・2/21会津文化福祉センターにおいて会津史談会副会長の井上昌威先生による「白虎隊の

  真実」の題名で講座が開催されました。平成30年は会津戊辰戦争150回忌の年であります。

  白虎隊の活躍を赤裸にその真実を語る講義であり、新たなる史実の解明が大変意義深い内容で、                                                                                                                                                    どんどん引き込まれる講義でした。

  会津史談会会員は勿論のこと、一般市民も講聴が出来る公開講座であり、59名の公聴者でした。

 ○講演内容(要旨のみ)

  1.明治2年4月には早くも新聞に白虎隊が報道された。「自刃者人数は16人、内1人蘇生せる」

    と記載されている。

  2.平石弁蔵の著作「会津戊辰戦争・増補白虎隊」の中の「白虎隊」に関する記事はほとんどが

    嘘である。しかし他は詳細にかかれており、すばらしい。

  3.「日向内記」の「食料調達説」はまったくの嘘であり、佐川官兵衛が強清水の荒井家で 

     軍事会議を予定したが途中の道を間違い、午前1時頃に到着、作戦変更をやむなくする事に

    なった。その会議に「日向内記」が出席、その後白虎隊陣地に戻ったが、白虎隊はすでに移動し

    その後会うことはなかった。

  4.白虎隊に作戦変更の知らせは届いていなかった。

  5.飯盛山で自刃をした人数は6名(1人は蘇生)と井上講師は確信している。

  6.戊辰戦争動乱の元は公家の岩倉具視と薩摩の大久保利通、長州の木戸孝允であり、己の政権

    奪還を狙った偽りのクーデターである。中でも岩倉具視が一番悪い。

  7.戦死者の埋葬において、西軍の埋葬が先なので会津兵の埋葬は「まて」と言われた。この事

    が「埋葬許可が出ない」となってしまったと思われる。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

     井上昌威氏               講   演   風   景

平成29年度第7回文化史講座(現地講座)開催される

11/22福島県立博物館において学芸員の栗原祐斗先生による「戊辰戦争と錦旗」の題名で  

 講座が開催されました。会津史談会会員は勿論のこと、一般市民も講聴が出来る公開講座のために                             

 175名の参加者で行われました。

 慶応4年正月の「鳥羽、伏見の戦い」で掲げられ、戊辰戦争の勝敗にすごく影響を与えたと言われる

 「錦旗」の講座で大変意義深く興味をそそる内容であり、皆さん真剣に聞き入っていました。内容は下

 記の通りです。

 (要旨のみ)

 1.「錦旗」は、日月旗と菊章旗の2種類がある。

 2.日月旗は日像(金の日輪)月像(銀の月)の旗各1枚、計2枚で1セット。節刀と共に下賜され、

   戦争が終了すれば返上する物。下賜されたのは皇族

 3・菊章旗は天皇から直接下賜されたものではない。使用後の返却も必要なし。

 4.後鳥羽上皇が鎌倉を攻めた時に下賜したのが最初の「錦旗」とされている。

 5.南北朝時代の「錦旗」が実在しており、その時代から官軍の標章となっていた。

 6.「鳥羽、伏見の戦い」で掲げられた「錦旗」は岩倉具視が制作を支持し、長州藩内で作成された。

 7.大正天皇の即位礼以降、戊辰戦争で使用された菊章旗と同じデザインの旗が「錦旗」として儀式に

   使用されている。 

    錦   旗          講 義 風 景         講師の栗原祐斗学芸員

  南北朝時代の錦旗?          講 座 風 景        真剣な聴講者     

平成29年度第3回文化史講座(現地講座)開催される

来年「戊辰会津戦争150年」に際し、『戊辰戦争150年・赤井谷地、十六橋、母成峠、古戦場検証』

 と題し、H29.7.20に現地研修を実施した。当日は夏本番にも拘らず過ごしやすい天候に恵まれ、主に

 白虎隊に関する研修であった。講師の井上氏は白虎隊の研究者でもあり、熱の入った説明が印象的で      

 あった。井上氏は飯盛山で自刃をした人数は7人説(内1人蘇生)を唱えている。尚参加者は37名で

 あった。講師は代表の井上昌威氏でした。尚今回は特別参加で青森県の新聞社、県内の福島民報社・

 福島民友社が参加なさいました。誠にありがとうございました。

○主な研修箇所は下記の通り。

 滝沢峠北新道ー十六橋ー白虎隊姥山陣地ー白虎隊露営の菰槌山ー新四郎濠ー白虎隊士墓参拝ー母成峠

 古戦場跡ー石筵陣地跡ー母成峠会津軍戦死墓慰霊碑ー達沢の大滝ー土津神社奥の院ー田中正玄墓

 

 菰槌山付近の白虎隊士墓     母成峠にて集合写真          白虎隊奮戦の図         

   会津軍戦死墓          田中正玄の墓          井上氏による講演風景

 

平成29年度第2回文化史講座(現地講座)開催される

東北では最も早く仏教文化が花開いた「仏都会津」。会津地方に伝わる三十三観音めぐりが日本遺産に

 認定になりそれら検証すべく、5月18日の残り13箇所を6月15日に実施した。当日は天候に恵まれ、

 スムーズにめぐる事が出来ました。

 講師は代表の井上昌威氏でした。

○主な研修箇所は下記の通りです。

 滝沢ー石塚ー御山―左下りー相川ー高倉ー関山ー両家ー富岡ー大岩ー高田ー雀林ー中田

 柳津(番外)

    十八番 滝沢         二十一番 左下り        二十八番 高田

 

    二十四番 関山         二十九番 雀林       三十番中田 十一面観音菩薩

                                 及び脇侍(どちらもレプリカ)       


◎平成28年度の文化史講座研修はH29.3.29をもってすべての予定が終了しました。 今年度も大盛況の内に終了し、厚く感謝申し上げます。

 来年度も多数の参加をお願い致します。ありがとうございました。

 

平成28年度会津史談会の総会開催される

 ○平成28年4月23日中之島会館にて実施され、平成28年度活動計画も無事に承認されました。

  「文化史講座」としては、平成28年度の会員数は89名が登録となりました。。

  尚、平成28年度文化史講座年間計画は下表の通り。

回月日 曜日 講座名 テーマ 講師
1 6月18日 現地講座 棚倉城址史跡探訪(棚倉町) 現地講師
2 7月14日 現地講座 奥州初の石垣の城、柏木城と米沢街道探訪 現地講師
3

8月18日

 

現地講座

越後街道将軍杉〜赤谷古戦場・津川さすらいの岡史跡

探訪   三川〜赤谷〜津川(阿賀町)

現地講師

4 9月15日 現地講座

佐川官兵衛の城外防衛戦史跡検証

文化史講座理事
5

10月20日

〜21日  

現地講座

富岡製紙場の史実と権田・東善寺小栗上野介墓参〜

信州上田真田丸他史跡探訪   

文化史講座理事
6 11月24日 講義講座 県立博物館学芸員による講義 県博学芸員
7 1月19日 講義講座 会津史談会による講義 会津史談会会員
8 2月16日 講義講座 会津史談会による講義 文化史講座理事
9 3月16日 講義講座 第15回会津史談賞受賞者発表 史談賞受賞者

 

○6月より次年3月まで「現地講座」5回、「講義講座」4回の計9回を木曜日に開催いたします。

○文化史講座の年会費は3千円です。しかし会津史談会会員加入が条件のため他に年4千円が必要です。

○現地講座会費は毎回3千円〜6千円で当日集金します。尚、5回目は宿泊のため別料金とします。

  (バス代、昼食代、入場料、損害保険料込の料金)

○平成28年度古文書講座の予定

 28年度の古文書講座は下記の計画により実施いたしますので多くの皆様のご参加を

 お待ちしています。

 1.月1回の開催で、年10回実施する。

 2.原則毎月第二火曜日で13:30〜15:30の2時間とする。

 3.講座の場所は、稽古堂3階会議室とする。

 4.年1回から2回の現地学習会を行う。

 5.年会費は1,000円とし、講座の運営費に充てる。

 6.3月14日の最終回は、9:40〜11:50までとし、その後反省会を行う。

 7.28年度の予定は下記の通り

   月日     時間      場所    内容 

   6月14日  13:30〜15:30  稽古堂  古文書の解説

   7月12日     〃      〃      〃

   8月  9日     〃      〃      〃

   9月13日     〃      〃      〃

   10月11日  9:30〜13:00   市内等  現地学習で古文書に出てきた

                       場所などを調査する。

  10月11日  13:30〜15:30    稽古堂  古文書の解読

      11月  8日     〃      〃      〃

  12月13日     〃      〃      〃

  1 月10日        〃      〃      〃  

      2 月14日             〃      〃      〃

      3 月14日  9:40〜11:50    〃    講座終了後反省会

 

 

平成28年度第8回文化史講座(講義講座)開催される

H29.2/24会津若松市文化センターにおいて会員以外も講聴出来る公開講座が実施された。

  講演会講聴人数は90名であった。今回は新聞社へのPRの効が奏してか、近年に無い講聴人数

 であり、大反響であった。

 演題ー「廃藩置県・若松県 秩禄処分

 講師ー会津史談会 文化史講座代表 井上昌威 氏

 講演内容(要旨)

 1.古墳時代にはすでに朝廷の文化が会津地方には入っていた。

 2.イギリスは日本にアヘンを持ち込まない代わりに倒幕をけしかけていた。

 3.明治維新には南北朝戦争のなごりが絡み合った政府であった。

 4.歴史は真実と逆の場合がある。その例が明治維新である。

 5.会津藩は理不尽と解っていても、天皇の勅命に逆らうことが出来なかった。

 6.明治政府すべては朝廷内で秘密に出来た政府である。

 7.明治9年に若松県、磐前県が福島県に統合され、現在に至っている。明治19年には蒲原郡

   が700年ぶりに新潟県東蒲原郡に返還された。

 ※参考図書 松重楊江著「二人で一人の明治天皇」

 

 

 井上 昌威氏 による 講演 風景

平成28年度第6回文化史講座(講義講座)開催される

11/25福島県立博物館において学芸員の塚本麻衣子先生による「三十三観音巡礼の成り立ち」の題名で                

 講座が開催されました。会津史談会会員は勿論のこと、一般市民も講聴が出来る公開講座のために74                             

 名の参加者で行われました。今年、会津三十三観音廻りが日本遺産に認定されました。その意味でも大                                        

 変意義深く興味をそそる内容であり、皆さん真剣に聞き入っていました。内容は下記の通りです。 (要旨のみ)

 1.三十三観音巡礼の成り立ち

   ・閻魔大王が西国三十三所を選定「この霊場をめぐれば罪が消え浄土に行ける」と言い、

    徳道上人に伝授したのが始まりとされている。

   ・長谷山寺と壺坂山寺が霊験あらたな寺院と言われている。

   ・観音様は厳谷に泉が流れ、樹木草花が生い茂り、石、岩の上に現れ座る。会津では滝沢観音堂

    (18番)左下り観音堂(21番)大岩観音堂(27番)がそのイメージである。

   ・15世紀中頃の「天隠語録」には巡礼は那智に始まり、谷汲で終わる。室町時代には巡礼順序が                                                                                                                                                                          確立し、一般庶民を含めた巡礼が流行した。

   ・秩父・坂東・西国三十三観音廻りが代表格であり、東国や会津の素地になった。

   ・一か所に三十三観音像を並べそれを礼拝すれば三十三箇所巡礼と同じ功徳が得られる。会津の

    飯盛山にあるさざえ堂はそのものである。

 2.三十三とは

   ・観音様は救うべき相手に応じて、様々な姿に変身して現れる。その数三十三の姿に変身すること     

    が出来る。

   ・会津三十三観音の内訳は聖観音10、十一面観音像15、千手観音像6、如意輪観音像1

    馬頭観音1である。

      

         塚本麻衣子氏 福島県立博物館専門学芸員による講義風景

 

平成28年度第4回文化史講座(現地講座)開催される

9月15日「佐川官兵衛総督の城外戦・激戦地史蹟探訪」と題して、南会津地方をメーンに会津戊辰戦                        
 争時、佐川官兵衛が城外で戦った戦場跡及び戦死墓を廻る現地研修を行いました。

 講師は文化史講座代表の井上昌威氏でした。参加人員は33名でした。

 佐川官兵衛が守れきれずに敵軍を郭内に侵入させた責任を感じ、籠城せずに郭外で戦った時の佐川官兵

 衛の心情がひしひしと感じられました。また新政府軍が会津藩に対し、「ここまでやるか」と思われる

 「戦死墓」のいきさつ等を詳細に知る事が出来た研修でした。

 なお主な研修箇所は下記の通りです。

 長命寺ー阿弥陀寺ー秀長寺ー長岡藩士墓ー矢の原湿原ー昭和村官軍戦死九人の墓ー舟鼻峠ー

 中山峠ー大内宿ーこぶしライン                                                                                                           

  長命寺の鉄砲弾丸跡地      長命寺会津藩士戦死墓        長岡藩士戦死墓

  会津藩戦勝地表示杭        昭和村内官軍戦死墓   佐川官兵衛最終古戦場での記念撮影 

平成28年度第3回文化史講座(現地講座)開催される

8月24日「三川将軍杉、赤谷口古戦場、さすらいの丘史跡探訪」と題して、新潟県東神原郡阿賀町を

 メーンに現地研修を行いました。主目的は赤谷口会藩戦死墓碑、白虎寄合一番隊士の佐々木新六郎首塚                                                                                             

 の墓参でした。

 講師は代表の井上氏、現地の赤谷邑ガイドの杉原明則氏の2名でした。

 慶応4年7月15日佐々木新六郎他の白虎寄合一番隊・二番隊の百数十人が越後口を守るため出発した

 18日津川に到着、8月8日西軍の砲撃が始まり、8月14日赤谷邑にて佐々木新六郎戦士。父親は首

 を刎ね埋めたのが現在の戦死墓(首塚)だと言う。100m位離れた所には「會藩戦死碑」があり、

 どちらも会員全員でお参りをしました。思わず胸が熱くなり、目頭にも熱いものが流れました。

 参加人員は総勢31名でした。なお主な研修箇所は下記の通りです。

 将軍杉ー新発田、越後街道ー赤谷宿ー赤谷口古戦場・會藩戦死墓碑ー首塚ー境川、角石原古戦場ー津川

 狐の嫁入り資料館ー麒麟山城解説ー保科正興の塚ー全開堂の即身仏                                                                   

   日本一の将軍杉        会津藩士戦死者慰霊碑       佐々木新六郎の首塚  

 平等寺薬師堂での記念撮影       保科正興の塚        即身仏がいらっしゃる全開堂